神戸地方裁判所 昭和40年(わ)62号 判決 1966年11月02日
被告人 田上稔 外一三名
主文
被告人田上稔を懲役一年に、
被告人青山正守を懲役一〇月に、
被告人流郷奈佑を懲役一〇月に、
被告人上床勇を懲役六月に、
被告人西川新平を懲役四月に、
被告人霜浦六郎を懲役六月に、
被告人薄田正一を懲役一年に、
被告人飯島一を懲役一年に、
被告人原新治を懲役一〇月に、
被告人山本芝鶴を罰金一〇〇、〇〇〇円に、
被告人望月潤三を懲役六月に、
被告人戸塚栄を懲役六月に、
被告人溝部博を罰金一〇〇、〇〇〇円に、
被告人斉藤太久栄を罰金八〇、〇〇〇円に
それぞれ処する。
被告上田上稔に対し、本件勾留日数中三〇日を右の刑に算入する。
被告人山本芝鶴、同溝部博、同斉藤太久栄において右各罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
この裁判が確定した日から、被告人青山正守、同流郷奈佑、同薄田正一、同飯島一、同原新治に対しては各三年間、被告人上床勇、同西川新平、同霜浦六郎、同望月潤三、同戸塚栄に対しては各二年間それぞれ右各刑の執行を猶予する。
押収してあるスポールデイング製ゴルフセツト一式(昭和四〇年押第三二四号の八六)、ゴルフ靴一足(同号の八七)、日立製フアミリークーラー(同号の八八)、同付属ポンプ(同号の八九)は被告人田上稔から、現金一五〇、〇〇〇円(一〇、〇〇〇円札一五枚、同号の六四)、三和銀行尼崎支店長振出、金額一〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の六五)は被告人青山正守からそれぞれ没収する。
被告人田上稔から金一、四四六、五三五円を、同青山正守から金五〇、〇〇〇円を、同流郷奈佑から金三三〇、〇〇〇円を、同上床勇から金一二〇、〇〇〇円を、同西川新平から金六〇、〇〇〇円を、同霜浦六郎から金一二〇、〇〇〇円を、同薄田正一から金五二〇、〇〇〇円をそれぞれ追徴する。
訴訟費用のうち、証人福井勝己、同井戸勝、同山中麟之介、同安藤孝治、同松本静夫に支給した分は、その九分の一ずつを被告人田上稔、同青山正守、同流郷奈佑、同上床勇、同西川新平、同霜浦六郎、同飯島一、同原新治、同山本芝鶴の負担とする。
本件公訴事実中、被告人田上稔は、尼崎市水道局長であつて、同市水道局が経営する工業用水道事業の管理者であつたが、工業用水道第二期拡張事業に使用する導水管、送水管の納入等を請負つていた日本ヒユーム管株式会社の大阪支社長である被告人望月潤三、及び同社大阪営業所所長である同戸塚栄から、右導水管、送水管等の納入等について有利且つ便宜な取計らいを受けたことに対する謝礼及び将来も同様な取計らいを受けたいとの趣旨で供与されるものであることを知りながら、昭和三六年一二月下旬から同三七年一月ごろまでの間、大阪市北区曽根崎新地三丁目九番地料亭「山茂斗」において、現金三〇〇、〇〇〇円を受け取り、その職務に関し収賄したとの点(昭和三九年一二月一九日付起訴状第一の(三)の(1) 及び第二二回公判調書参照)及び被告人望月潤三、同戸塚栄は共謀のうえ、田上稔に対し右三〇〇、〇〇〇円を供与し、田上の職務に関し贈賄したとの点(昭和三九年一一月七日付起訴状及び第二二回公判調書参照)については、被告人田上稔、同望月潤
三、同戸塚栄は、それぞれ無罪。
理由
(尼崎市水道局の工業用水道拡張事業について)
工業都市として急激に発展した尼崎市は、年々増加の一途をたどる同市内の各種企業の工場が地下水を汲み上げ、市の大部分にわたつて地盤沈下をもたらし、それが市民生活に重大な影響を与えていたため、その対策に苦慮していたところ、地盤沈下を阻止するには各工場の地下水の汲み上げを制限し、これに替えて市当局が工業用水を各工場に給水することが最大の効果を挙げ得るものであることに着目して、大規模な工業用水道拡張事業を起こすことを企画し、昭和三一年からその実施にとりかかつた。右工業用水道拡張事業は現在まで三期に区分され、昭和三一年四月一日から同三四年三月三一日までを第一期拡張事業にあて、武庫川から一日六万トンを取水して給水することを目的とする右事業は完成した。第二期拡張事業は工期を同三四年四月一日から同三八年三月三一日まで(のちに同三九年三月三一日まで延長)とし、当初淀川から一日二〇万トンを取水することを目的として工事を施行中、右計画が変更され追加工事をすることによつてその取水量は日量三一・四万トンに増量となり、その事業も完成をみた。更に第三期拡張事業計画も昭和三七年下期に樹立され、同三八年四月実施のはこびとなつた。
右工業用水道拡張事業は、当初尼崎市地盤沈下対策本部においてこれを所管していたが、第二期拡張事業からはその所管を水道局に新設した工業用水道課に移し、右事業は、地方公営企業法の適用をうける大規模且つ本格的なものとなつた。その後昭和三七年尼崎市水道局分課規程の改正により局内の機構が改められ、工業用水道拡張工事の施工は水道局建設課に移管された。
右第二期拡張事業は、北配水場構造物(着水池、混和池、沈澱池、配水池ポンプ室等)築造工事(村上建設株式会社大阪支店がその工事を請負う)、淀川の取水口から配水場へ、配水場から各工場への導水管、送水管、配水管(日本ヒユーム管株式会社他数社がその納品及びパイプ継手工事を請負う)の布設工事をその主たるものとし、北配水場構造物築造工事は昭和三六年四月一日から着工されたが、労務者賃銀、資材の値上り、沈澱池数の削減その他の事由により前後九回にわたつて設計変更(工事内容の変更ばかりでなく、労賃、資材費改定による工事代金総額の変更も設計変更という)が行われ、右当初の工事以外に昭和三八年八月から沈澱池、排泥池等を増設する追加工事も施工され、この工事も村上建設株式会社大阪支店が随意契約をもつて請負うこととなり、また第二期拡張事業に使用された導水管、送水管の大部分は日本ヒユーム管株式会社等の製品であるP・Sヒユーム管であつたが、右パイプは鋼管、鋳鉄管と比較して、耐圧性はともかく継手構造に難点があり、継手から漏水する危険が大きいかつたため、市水道局は第二期拡張工事には採用したものの、第三期拡張工事においてP・Sヒユーム管を採用するか否か不明の状態であつた。
(阪神水道企業庁の上水道拡張事業について)
阪神水道企業庁は、昭和一一年、神戸市、西宮市、尼崎市ほか武庫、川辺両郡一三か町村の上水道事務の一部を共同処理する目的で設立せられた阪神上水道市町村組合が、昭和三七年九月改組され阪神上水道組合となつたが、その組織の呼称であつて、現在は神戸市、西宮市、芦屋市、尼崎市の上水道の事務の一部を共同処理することを目的とする地方公共団体の一部事務組合で、その職員は地方公務員法の適用をうける公務員である。
右企業庁は、昭和一二年から同一五年にかけ上水道拡張第一期工事を、同二五年から同三一年までに第二期工事をそれぞれ行い、昭和三三年度から同三九年度までの第三期拡張事業においては、大阪市東淀川区東大道町に淀川からの取水口と大道ポンプ場を設け、同所から大阪、吹田、豊中、尼崎の各市に導水管を布設し、尼崎市田能に新設する食満浄水場まで導水し、同所で浄水したものを一部、東部配水管により尼崎市に配水、他を食満送水管により西宮市上大市甲東ポンプ場に送水、右から甲東送水路、芦部谷送水路を経て神戸市に送水するという計画のものであり、現に実施完成をみた。
(福井県による滝波川発電所建設事業について)
福井県は、県士綜合開発計画の一環として、九頭竜川の支流である滝波川の一地点福井県勝山市北谷池区に堰堤を築き、一五万トンの水を貯めて三〇〇メートルの落差をつくり、それを利用して最大出力一二、三〇〇KWの発電能力を有するダム水路式発電所を建設することを計画、右建設工事は昭和三七年四月に着工され、同三九年一〇月末に完成したのであるが、右工事の一部である隧道工区及び一部支水路工事を村上建設株式会社大阪支店が請負つた。
(被告人ら及び井戸勝、塚口賢明、金子正美の職務について)
被告人田上稔は、昭和三二年四月一日から同三八年二月二四日まで尼崎市水道局長、同月二二日から同市助役(同三八年四月一日まで水道局長を兼務)の職にあり、前記工業用水道拡張事業については水道局長として工事請負競争入札参加者の資格の決定、入札予定価格の決定、工事請負契約、資材(導水管、送水管、配水管なども含む)購入契約その他諸契約の締結、工事設計、その変更設計、工事施工の監督、工事出来高金の支払命令、工事出来高取下証明書の発行等事業全般にわたり統括処理する職務を管掌し、同市助役として水道事業の重要事項について市長を補佐し、水道局長を指揮監督していたもの。
被告人青山正守は、昭和三八年四月一日以降尼崎市水道局長として前記事業については田上局長と同様の職務を管掌していたもの。
被告人流郷奈佑は、昭和三六年六月一六日から尼崎市水道局次長として水道局諸事業の管理者である水道局長を補佐する職務にあり、前記事業については工事請負契約の締結、工事代金の支払い、工事出来高取下証明書発行等の事務の決裁にあたつていたもの。
被告人上床勇は、昭和三五年五月から尼崎市水道局工業用水道課工務係長、同三七年八月から同局建設課調査設計係長、同三八年四月から同局建設課長として前記事業の具体的工事の企画立案、工事の施工監督、工事設計変更の設計書の立案、工事出来高金支払請求書、工事出来高金取下証明下付願の審査等の職務を管掌していたもの。
被告人西川新平は、昭和三五年五月から尼崎市水道局工業用水道課庶務係長、同三七年八月から同局建設課事務係長として前記事業の工事設計書の決裁書、設計変更伺い、工事出来高金支払伺い、工事出来高金取下証明伺い等の起案、出来高金支払い、出来高金取下証明発行事務を管掌していたもの。
被告人霜浦六郎は、昭和三四年一一月から尼崎市水道局工業用水道課工務係員、同三七年八月から同局建設課工務係員、同三八年四月から同課調査設計係員として前記事業の工事設計の立案、工事の現場監督、設計変更の設計立案、工事出来高査定の職務を管掌していたもの。
井戸勝は、昭和三七年八月から翌年三月まで、尼崎市水道局建設課長として前記事業について被告人上床勇と同様の職務を管掌していたもの。
塚口賢明は、昭和三七年八月から水道局建設課工事係員、同三八年四月から同課調査設計係長として北配水場構造物築造工事の追加工事の設計立案の職務を管掌していたもの。
被告人薄田正一は、阪神水道企業庁に技術吏員として勤務し、昭和三四年一二月から同企業庁建設部企画課調査係員、同三五年一一月から同部工務課設計係員、同三七年九月から同部企画課調査係長の職にあつて、同企業庁が行う第三期上水道拡張工事計画の立案、工事実施計画書の作成、工法の技術的調査、実験等の職務を管掌し、その間昭和三五年六月から同年一〇月まで、日本ヒユーム管株式会社尼崎工場において、P・Sシリンダー管、継手構造等の耐圧実験、P・Sヒユーム管の開発に成功し、その後、第三期拡張工事に導水管、送水管として使用されるようになつた右P・Sヒユーム管の仕様書、設計図の作成の職務をも管掌していたもの。
金子正美は、福井県技術吏員であつて、福井県が行う前記滝波川発電所建設工事の建設事務所々長として工事の設計、施工監督、設計変更、出来高査定等の職務を管掌していたもの。
被告人原新治は、東京都に本店を有し、土木建設業を目的とする村上建設株式会社(同社は昭和四一年八月三一日大成建設株式会社に吸収合併され、現在存在しないが、以下便宜的に「村上建設」と呼ぶ)の副社長の地位にあつて、昭和三七年七月から翌年一二月退社するまで同社の大阪支店長をも兼ね、同支店が請負う土木建設工事全般の責任者であつたもの。
被告人山本芝鶴は、昭和三七年六月から同社大阪支店土木部長として同支店が請負う土木工事の責任者、同三八年一二月から同社大阪支店長として前記原支店長と同様の責任者としての地位にあつたもの。
被告人飯島一は、昭和三六年四月から村上建設大阪支店尼崎出張所々長として、同支店が尼崎市水道局から請負つた工業用水道第二期拡張事業中の北配水場構造物築造工事及び付帯工事の施工、監督及び追加工事請負契約の推進者であり、更に昭和三九年五月から同支店長付となり村上建設大阪支店が福井県から請負つた前記滝波川発電所建設工事の隧道工区工事及びその付帯工事の施工をも担当していたもの。
被告人望月潤三は、東京都に本店を有し、各種ヒユーム管、コンクリート杭等の製造販売を目的とする日本ヒユーム管株式会社の取締役として昭和二六年ごろから同社大阪支社長を兼ね、同社の尼崎工場、名古屋工場、三重工場における各種ヒユーム管、コンクリート杭等の製造及び大阪営業所、名古屋営業所における営業活動の総括的な指揮監督をしていたもの。
被告人戸塚栄は、昭和三六年八月から日本ヒユーム管株式会社大阪営業所々長として同営業所の営業全般の責任者であつたもの。
被告人溝部博は、日本ヒユーム管株式会社に勤務し、昭和二五年一二月から同社大阪営業所営業課々員、同三五年九月同課々長代理、同三六年九月から同課々長として同社製品の販売事務を担当していたもの。
被告人斉藤太久栄は、昭和三〇年一〇月、日本ヒユーム管株式会社大阪営業所営業課員となり、同三六年九月からは同課々長代理として同営業所の営業事務を担当していたもの。
(罪となるべき事実)
第一、被告人田上稔は、
一、原新治、飯島一から、前記工業用水道第二期拡張工事中、村上建設が尼崎市水道局より請負つた北配水場構造物建設工事、付帯工事及び追加工事その付帯工事の設計変更、出来高金支払、出来高金取下証明の発行、工事保証金返還、追加工事請負契約の締結等に関し、種々好意的な取扱いをうけたことに対する謝礼及び将来も同様の取扱いを受けたい趣旨で供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和三七年七月下旬、尼崎市塚口町四丁目三一番地の四、被告人田上方で、大和銀行北浜支店長振出、金額五〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(昭和四〇年押第三二四号の六〇)を、
(二) 昭和三八年八月上旬、右同所で現金三〇〇、〇〇〇円を、
(三) 昭和三八年一二月一七日ごろ、大阪市北区梅ケ枝町一〇八番地料亭「都築」で、現金三〇〇、〇〇〇円をそれぞれ受け取り、
二、山本芝鶴、飯島一から右第一の一記載と同趣旨で供与されるものであることを知りながら、昭和三九年五月一〇日ごろ、尼崎市塚口墓の前四〇五番地の一被告人田上方で、現金二〇〇、〇〇〇円を受け取り、
三、望月潤三、戸塚栄から、日本ヒユーム管株式会社が前記第二期工業用水道拡張事業の導水管、送水管、配水管に使用するP・Sヒユーム管の納入及びその継手工事の入札、契約の締結について種々好意的な取扱いをうけたことに対する謝礼及び近く実施される第三期拡張事業においてもP・Sヒユーム管の入札、契約、納入等について同様の取扱いを受けたい趣旨で供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和三八年三月下旬、尼崎市塚口四丁目三一番地の四被告人田上方で、金七五、六〇〇円相当のスポールデイング製ゴルフセツト一式(昭和四〇年押第三二四号の八六)及びゴルフ靴一足(同号の八七)を、
(二) 同年八月下旬、尼崎市塚口墓の前四〇五番地の一被告人田上方で、金四八、五〇〇円相当の日立製フアミリークーラー一台(昭和四〇年押第三二四号の八八)及び同付属ポンプ(同号の八九)を、
それぞれ受け取り、
四、昭和三八年一〇月、札幌市で開催された日本水道協会総会にその妻とともに出席した際、望月潤三、溝部博から前記三と同趣旨で接待されるものであることを知りながら、宿泊費、飲食費、旅費等金一四六、五三五円に相当する七泊八日の北海道周遊旅行(同年一〇月八日から同月一五日まで定山溪ほか六か所に宿泊)の接待をうけ、もつて、いずれもその職務に関して賄賂を収受した、
第二、被告人青山正守は、飯島一から前第一の一記載と同趣旨で供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和三八年七月下旬、尼崎市塚口町四丁目三一番地の四被告人青山方で、三和銀行梅田新道支店長振出、金額二〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(昭和四〇年押第三二四号の六二)を、
(二) 同年一二月中旬ごろ、右同所で三和銀行尼崎支店長振出、金額一〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の六五)を
それぞれ受け取り、もつていずれもその職務に関して賄賂を収受した、
第三、被告人流郷奈佑は、飯島一から前第一の一記載と同趣旨で供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和三七年七月下旬、尼崎市西川字野元一四番地被告人流郷方で、大和銀行北浜支店長振出、金額三〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(昭和四〇年押第三二四号の六六)を、
(二) 同年一二月下旬、右同所で三和銀行尼崎支店長振出、金額一〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の六八)を、
(三) 同三八年八月中旬、尼崎市北城内二七番地、県立尼崎病院で、三和銀行高麗橋支店長振出、金額一〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の七一)を、
(四) 同年一二月下旬、前記流郷方で三和銀行尼崎支店長振出、金額一〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の七二)を
それぞれ受け取り、もつていずれもその職務に関して賄賂を収受した、
第四、被告人上床勇は、飯島一から前記北配水場構造物建設工事(追加工事も含む)の施工監督、工事設計変更設計書の立案、工事出来高金支払請求、工事出来高金取下証明下付願の手続等について種々好意的な取扱いを受けたことに対する謝礼及び将来も同様の取扱いをうけたい趣旨で供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和三八年七月二七日ごろ、尼崎市七松二四六番地被告人上床方で、三和銀行梅田新道支店長振出、金額一〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(昭和四〇年押第三二四号の七四)を、
(二) 同年一一月二〇日ごろ、右同所において現金二〇、〇〇〇円を
それぞれ受け取り、もつていずれもその職務に関して賄賂を収受した、
第五、被告人西川新平は、飯島一から前第四記載と同趣旨で供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和三七年七月下旬、尼崎市宮内町二丁目六八番地被告人西川方で、大和銀行北浜支店長振出、金額一〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(昭和四〇年押第三二四号の七五)を、
(二) 同年一二月二二日ごろ、右同所で三和銀行尼崎支店長振出、金額一〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の七七)を、
(三) 同三八年八月中旬、右同所において三和銀行高麗橋支店長振出、金額一〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の七八)を、
(四) 同年一二月下旬、右同所において現金一〇、〇〇〇円を、
(五) 同三九年四月上旬、右同所において現金二〇、〇〇〇円を
それぞれ受け取り、もつていずれもその職務に関して賄賂を収受した、
第六、被告人霜浦六郎は、飯島一から、前記北配水場構造物建設工事(追加工事も含む)の施工監督、工事設計の設計書の立案、工事出来高査定等について種々好意的取扱いをうけたこと及び将来も同様の取扱いを受けたい趣旨で供与されるものであることを知りながら、
(一) 昭和三七年五月二九日ごろ、尼崎市北城内二七番地県立尼崎病院で、現金三〇、〇〇〇円を、
(二) 同年七月下旬、右同所で大和銀行北浜支店長振出、金額一〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(昭和四〇年押第三二四号の七九)を、
(三) 同年一二月下旬、尼崎市瓦宮堀田村上建設株式会社大阪支店尼崎出張所内で、三和銀行尼崎支店長振出、金額二〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の八一)を、
(四) 同三八年七月上旬、前記県立尼崎病院で現金二〇、〇〇〇円を、
(五) 同年八月中旬、尼崎市御園町二七番地、被告人霜浦方で、三和銀行高麗橋支店長振出、金額二〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(同号の八二)を、
(六) 同年一二月中旬、右同所で現金二〇、〇〇〇円を
それぞれ受け取り、もつていずれもその職務に関して賄賂を収受した、
第七、被告人薄田正一は、阪神水道企業庁第三期上水道拡張事業の導水管、送水管として使用する管、パイプの継手構造の日本ヒユーム管尼崎工場での耐圧試験、日本ヒユーム管尼崎工場が一定期間内に完全なP・Sヒユーム管を一定量製造しうる能力を有するか等の検査について種々好意的な取扱いを受けたこと及び将来P・Sヒユーム管の納入についても同様の取扱いを受けたい趣旨で、戸塚栄、溝部博、斎藤太久栄から供与されるものであることを知りながら、昭和三七年八月から同三九年九月まで神戸市東灘区本山町野寄字仏天垣五二番地の一阪神水道企業庁内等で、前後二六回にわたり相接続して毎月現金二〇、〇〇〇円ずつ合計金五二〇、〇〇〇円を受け取り、もつてその職務に関して賄賂を収受した、
第八、被告人原新治、同飯島一は共謀のうえ、前記第一の一の趣旨で田上稔に対し
(一) 前記第一の一の(一)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(二) 前記第一の一の(二)の日時場所において、現金三〇〇、〇〇〇円を、
(三) 前記第一の一の(三)の日時場所において、現金三〇〇、〇〇〇円を、
それぞれ供与し、もつていずれも田上の職務に関し賄賂を供与した、
第九、被告人山本芝鶴、同飯島一は共謀のうえ、前記第一の二の趣旨で田上稔に対し、第一の二記載の日時場所において現金二〇〇、〇〇〇円を供与し、もつて田上の職務に関し賄賂を供与した、
第一〇、被告人飯島一は、
一、前記第二の趣旨で青山正守に対し
(一) 前記第二の(一)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(二) 前記第二の(二)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
二、前記第三の趣旨で流郷奈佑に対し
(一) 前記第三の(一)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(二) 前記第三の(二)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(三) 前記第三の(三)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(四) 前記第三の(四)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
三、前記第四の趣旨で上床勇に対し
(一) 前記第四の(一)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(二) 前記第四の(二)の日時場所において、現金二〇、〇〇〇円を、
四、前記第五の趣旨で西川新平に対し
(一) 前記第五の(一)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(二) 前記第五の(二)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(三) 前記第五の(三)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(四) 前記第五の(四)の日時場所において、現金一〇、〇〇〇円を、
(五) 前記第五の(五)の日時場所において、現金二〇、〇〇〇円を、
五、前記第六の趣旨で霜浦六郎に対し
(一) 前記第六の(一)の日時場所において、現金三〇、〇〇〇円を、
(二) 前記第六の(二)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(三) 前記第六の(三)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(四) 前記第六の(四)の日時場所において、現金二〇、〇〇〇円を、
(五) 前記第六の(五)の日時場所において、同記載のギフトチエツク一通を、
(六) 前記第六の(六)の日時場所において、現金二〇、〇〇〇円を、
それぞれ供与し、もつて、右青山、流郷、上床、西川、霜浦の各職務に関して賄賂を供与した、
六、前記第四と同様の趣旨で井戸勝に対し、昭和三七年一〇月下旬、神戸市兵庫区上祗園町三〇番地井戸方において、現金一〇〇、〇〇〇円を、
七、前記第四と同様の趣旨で塚口賢明に対し、昭和三八年七月下旬、尼崎市長洲本通二丁目三番地右塚口方において、三和銀行梅田新道支店長振出、金額五〇、〇〇〇円のギフトチエツク一通(昭和四〇年押三二四号の八五)を、
八、村上建設株式会社福井県滝波川発電所建設工事作業所長浜田繁明と共謀のうえ、同社大阪支店が福井県から請負つた滝波川発電所建設工事中隧道工区工事の施工監督、工事設計変更、工事出来高査定等に関し、種々好意ある取扱いをうけたことに対する謝礼及び将来も同様の取扱いを受けたい趣旨で金子正美に対し、昭和三九年七月一〇日ごろ、香川県観音寺市観音寺町甲三、八六七番地右金子方において、現金一〇〇、〇〇〇円を
それぞれ提供し、もつて右井戸、塚口、金子の各職務に関して賄賂の申込をなした、
第一一、被告人望月潤三、同戸塚栄は共謀のうえ、田上稔に対し、前記第一の三の趣旨で、
(一) 前記第一の三の(一)の日時場所において、同記載のゴルフセツト一式、ゴルフ靴一足を、
(二) 前記第一〇三の(二)の日時場所において、同記載のクーラー一台、付属ポンプ一台を
それぞれ供与し、もつていずれも田上の職務に関し賄賂を供与した、
第一二、被告人望月潤三、同溝部博は共謀のうえ、前記第一の三の趣旨で田上稔及び同人の妻を前第一の四記載の日時場所において、金一四六、五三五円に相当する七泊八日の北海道周遊旅行に接待し、もつて田上の職務に関し賄賂を供与した、
第一三、被告人戸塚栄、同溝部博、同斎藤太久栄は共謀のうえ、薄田正一に対し、前記第七の趣旨で同記載の日時場所において、相接続して毎月二〇、〇〇〇円ずつ二六回にわたつて合計五二〇、〇〇〇円を供与し、もつて薄田の職務に関し賄賂を供与した
ものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
一、被告人田上稔の判示第一の一の(一)ないし(三)、二、三の(一)、(二)、四の各所為は刑法一九七条一項前段に該当するが、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い第一の一の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち、三〇日を右の刑に算入し、押収してあるスポールデイング製ゴルフセツト一式(昭和四〇年押第三二四号の八六)、ゴルフ靴一足(同号の八七)は判示第一の三の(一)の犯行により、日立製フアミリークーラー一台(同号の八八)、付属ポンプ一台(同号の八九)は判示第一の三の(二)の犯行により、同被告人がそれぞれ収受した賄賂であるから、刑法一九七条の五前段により同被告人からいずれもこれを没収し、同被告人がその余の判示犯行により収受した賄賂はいずれも没収することができないので、同法一九七条の五後段により同被告人からその価額合計金一、四四六、五三五円を追徴することとする。
二、被告人青山正守の判示第二の(一)、(二)の各所為は刑法一九七条一項前段に該当するが、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一〇月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、押収してある現金一五〇、〇〇〇円(昭和四〇年押第三二四号の六四)は同被告人が判示第二の(一)の犯行により収受した賄賂である三和銀行梅田新道支店長振出、金額二〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク(同号の六二)を換金して得た金銭の一部であり、(銀行振出のギフトチエツクはその支払の確実性から、これを金銭と同視することができ、ギフトチエツクを換金して得た金銭は、金銭の両替の場合と同じく、その同一性を失わないものと解するのが、相当である。)、また押収してある三和銀行尼崎支店長振出、金額一〇〇、〇〇〇円のギフトチエツク一枚(同号の六五)は同被告人が判示第二の(二)の犯行により収受した賄賂であるから同法一九七条の五前段によつていずれもこれを同被告人から没収し、前記第二の(一)の犯行により収受した賄賂であるギフトチエツクを換金して得た金銭の残余の部分については没収することができないので同法一九七条の五後段によりその価額金五〇、〇〇〇円を同被告人から追徴することとする。
三、被告人流郷奈佑の判示第三〇(一)ないし(四)の各所為は刑法一九七条一項前段に該当するが、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第三の(二)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一〇月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、同被告人が判示第三の(一)ないし(四)の各犯行により収受した賄賂はいずれも没収することができないので、同法一九七条の五後段により同被告人からその価額金三三〇、〇〇〇円を追徴することとする。
四、被告人上床勇の判示第四の(一)、(二)の各所為は刑法一九七条一項前段に該当するが、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第四の(一)の罪に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役六月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、同被告人が判示第四の(一)、(二)の各犯行により収受した賄賂はいずれも没収することができないので、同法一九七条の五後段により同被告人からその価額金一二〇、〇〇〇円を追徴することとする。
五、被告人西川新平の判示第五の(一)ないし(五)の各所為はいずれも刑法一九七条一項前段に該当するが、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第五の(五)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役四月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、同被告人が判示第五の(一)ないし(五)の各犯行により収受した賄賂はいずれも没収することができないので、同法一九七条の五後段により同被告人からその価額金六〇、〇〇〇円を追徴することとする。
六、被告人霜浦六郎の判示第六の(一)ないし(六)の各所為は刑法一九七条一項前段に該当するが、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第六の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役六月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、同被告人が判示第六の(一)ないし(六)の各犯行により収受した賄賂はいずれも没収することができないので、同法一九七条の五後段により同被告人からその価額金一二〇、〇〇〇円を追徴することとする。
七、被告人薄田正一の判示第七の所為は包括して刑法一九七条一項前段に該当するので、所定刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、同被告人が判示第七の犯行により収受した賄賂は没収することができないので、同法一九七条の五後段によりその価額金五二〇、〇〇〇円を同被告人から追徴することとする。
八、被告人原新治の判示第八の(一)ないし(三)の各所為はいずれも刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に該当するのでいずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第八の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一〇月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予することとする。
九、被告人山本芝鶴の判示第九の所為は刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で同被告人を罰金一〇〇、〇〇〇円に処し、右の罰金を完納することができないときは、同法一八条一項により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとする。
一〇、被告人飯島一の判示第八の(一)ないし(三)、第九、第一〇の一の(一)、(二)、二の(一)ないし(四)、三の(一)、(二)、四の(一)ないし(五)、五の(一)ないし(六)、六ないし八の各所為はいずれも刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、(判示第八の(一)ないし(三)、第九、第一〇の八については更に刑法六〇条)に該当するので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第八の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとする。
一一、被告人望月潤三の判示第一一の(一)、(二)、第一二の各所為はいずれも刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に該当するので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役六月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予することとする。
一二、被告人戸塚栄の判示第一一の(一)、(二)、第一三の各所為はいずれも刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に該当するので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一三の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役六月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予することとする。
一三、被告人溝部博の判示第一二、第一三(包括して)の各所為はいずれも刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に該当するので、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で同被告人を罰金一〇〇、〇〇〇円に処し、右の罰金を完納することができないときは同法一八条一項により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとする。
一四、被告人斉藤太久栄の判示第一三の所為は包括して刑法一九八条一項、一九七条一項前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で同被告人を罰金八〇、〇〇〇円に処し、右の罰金を完納することができないときは同法一八条一項により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとする。
一五、そして、訴訟費用中、証人福井勝己、同井戸勝、同安藤孝治、同山中麟之介、同松本静夫に支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりその九分の一ずつを被告人田上稔、同青山正守、同流郷奈佑、同上床勇、同西川新平、同霜浦六郎、同飯島一、同原新治、同山本芝鶴に負担させることとする。
一六、なお、主文第七項記載の公訴事実については、後記の理由で結局犯罪の証明がないことに帰するから、被告人田上、同望月、同戸塚に対しては、その関係部分について刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすることとする。
(一部無罪の理由)
一 被告人田上稔に対する昭和三九年一二月一九日付起訴状第一の(三)の(1) 記載の公訴事実(収賄)及び被告人望月潤三、同戸塚栄に対する同年一一月七日付起訴状記載の公訴事実(贈賄)(右公訴事実のうち昭和四一年七月二〇日第二二回公判期日で訴因の一部訂正)の要旨は、被告人田上稔は、尼崎市水道局長であつて同市水道局が経営する工業用水道の管理者として、同水道局が実施していた第二期工業用水道拡張事業を掌理し、工事の設計、資材購入、施工監督、諸契約の締結、工事代金支払いなどを統括処理していたものであるが、当時右第二期拡張事業に使用する導水管、送水管の納入、管の継手工事等を請負つていた日本ヒユーム管株式会社の大阪支社長である被告人望月潤三及び同社大阪営業所長である被告人戸塚栄から右導水管、送水管の納入等について有利且つ便宜な取計らいを受けたことに対する謝礼及び将来も同様な取計らいを受けたいとの趣旨で供与されるものであることを知りながら、昭和三六年一二月下旬ごろから同三七年一月ごろまでの間、大阪市北区曾根崎新地三丁目九番地料亭「山茂斗」において、現金三〇〇、〇〇〇円を受り取り、もつてその職務に関し賄賂を収受し、被告人望月、同戸塚は共謀のうえ、田上稔に対し前記のように現金を供与し、もつて同人の職務に関し賄賂を供与したものであるというにある。
二 そこで、この点について考えてみることにする。
被告人田上、同望月、同溝都、東島義雄の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに右被告人らの当公判廷における各供述によると、日時の点は別として、被告人望月が被告人田上に対し、前記「山茂斗」において、現金三〇〇、〇〇〇円を供与した事実を認めることができる。そして右各供述調書によれば、その日時は昭和三七年一月一六日ごろであると、一応推測できなくはない。
しかしながら、被告人望月、同戸塚、同溝部は、公判廷において一貫して、右日時に被告人田上に対し現金三〇〇、〇〇〇円を供与した事実を否認し、被告人望月、同溝部は、被告人田上に対し右金員を供与したのは、昭和三四年末か昭和三五年初めごろであると供述し、被告人戸塚は、同田上への金員の供与に関与したことはないと供述しているところ、被告人田上は、第一回公判期日において右金員の供与を受けたのは、昭和三六年一二月か昭和三七年一月ごろであると供述していたが、その後に至つて右金員供与の日時は、昭和三四、五年ごろであつたか昭和三六、七年ごろであつたか記憶がない旨供述しているので、右金員が検察官主張のように昭和三七年一月一六日ごろ(もつとも、第二二回公判期日において金員供与の日時は、昭和三六年一二月下旬から昭和三七年一月ごろまでの間、と訂正された。)、供与されたものであるか否かについて検討することとする。
(一) 被告人望月、同戸塚、同溝部は、当公判廷において、同被告人らが捜査官に対し右金員供与の時期を昭和三七年一月一六日ごろと供述するに至つた経緯は、同被告人らは当初捜査官に対し右時期に被告人田上に対し金員を供与したことはないと力説したが、被告人望月が取調べにあたつた司法警察員から料亭「山茂斗」の右同日付の売上伝票(日本ヒユーム様外二人、酒八本、ビール四本ほか数品の品名、金額を表示したもの)を示され、田上、戸塚も右金員授受の日時は右同日ごろだと供述しているが、相互の供述が合致しなければいつまでも取調べが終了しないといわれ、当時健康を害していたこともあつて、不本意ながらも右金員を右日時ごろに供与した旨の事実に反する供述をなし、他方被告人戸塚、同溝部も取調べに当つた司法警察員から望月が右時期ごろに田上に対し右金員を供与した旨自白していると知らされ、関係人の供述が一致しない以上はいつまでも勾留されるのではないかとの危惧と、当時の望月の健康状態に対する憂慮から、望月の司法警察員に対する供述調書に符合する供述をなしたのであつて、その結果被告人望月、同戸塚、同溝部の司法警察員及び検察官に対する同趣旨の各供述調書が作成されたものであると述べており、また被告人田上も当公判廷において捜査官から取調べられたときは金員授受の時期について明確な記憶がなかつたが、捜査官からその時期は昭和三七年一月一六日ごろであるとヒユーム管の人達が供述している旨知らされたうえ、「山茂斗」の右売上伝票を示されたので、安易にそのように供述した結果、その旨の司法警察員及び検察官に対する各供述調書が作成されるに至つたものであると述べている。
また、被告人田上に供与した現金三〇〇、〇〇〇円の出所について、東島義雄は検察官に対する供述調書中で、「昭和三六年末か昭和三七年一月ごろ、望月専務が私のところへ来て、三〇〇、〇〇〇円用意してくれといわれたので、当時裏資金は殆んど預金して手許には一〇〇、〇〇〇円ぐらいしかなかつたので、裏資金から一〇〇、〇〇〇円出し、正規勘定から二〇〇、〇〇〇円出して金計三〇〇、〇〇〇円を白封筒に入れて専務に渡した。正規勘定から借りた二〇〇、〇〇〇円を戻さなければなりませんし、さらに手持の裏資金も全然なくすわけにはいかんので、専務に三〇〇、〇〇〇円渡した二、三日後に裏資金の預金から三〇〇、〇〇〇円引出して、正規の勘定に戻したり、手持ちの裏資金にあてたりした記憶があり、他に三〇〇、〇〇〇円の引出しがないところから、お示しの協和銀行吹田支店の照合表記載の昭和三七年一月一八日三〇〇、〇〇〇円の引出しは、右の三〇〇、〇〇〇円に関するものであることに間違いないと思います。」と供述していることが認められるところ、第一一回公判調書中証人東島義雄の供述部分によれば、同人は公判廷において、昭和三六年末か昭和三七年一月ごろに被告人望月に現金三〇〇、〇〇〇円を渡したことはない、検察官に対しそのようなことをいつたのは、検察官から、被告人望月、同戸塚、同溝部がその旨自白しているからと知らされたので、止むを得ずそのように供述したのである、また、昭和三七年一月一八日協和銀行吹田支店から現金三〇〇、〇〇〇円を引出したのは、後から調査したところ、それは国際ゴルフクラブの入会金の一部にあてるためであつたことが判明した、望月に現金三〇〇、〇〇〇円を渡したのは昭和三四年ごろであると供述している。
(二) ところで、検察官提出の証拠を検討すると、被告人望月、同戸塚が昭和三七年一月一六日ごろもしくは昭和三六年一二月下旬から昭和三七年一月ごろに現金三〇〇、〇〇〇円を供与したとする検察官の主張の主要な根拠は、「山茂斗」の「昭和三七年一月一六日、日本ヒユーム様外二人、酒八本、ビール四本外数品飲食」と記載したメモ(売上伝票)(昭和四〇年押第三二四号の一〇三の一七)及び協和銀行吹田支店長作成の普通預金勘定受払照合表中の昭和三七年一月一八日金三〇〇、〇〇〇円引出しの記載部分であることがうかがわれるので、これらの証拠が右供与事実を認定するための的確な証拠たり得るかどうかについて、さらに検討を進める。
(1) 被告人望月の司法警察員に対する昭和三九年一〇月三〇日付供述調書及び同被告人の当公判廷における供述に領収証写一通(昭和四〇年押第三二四号の一〇五)出張旅費領収書(同号の一〇七)を総合すると、同被告人は、昭和三七年一月一六日大阪駅一九時五分発の霧島号で博多に出張していることが認められる。他方、被告人田上の検察官に対する昭和三九年一一月四日付供述調書によると、同被告人が望月から「山茂斗」で現金三〇〇、〇〇〇円を受け取つた日に同所へ赴いたのは午後五時過ぎであることが認められる。
ところで、遠隔地へ出張する人が、その直前二時間足らずの時間に重要な客を料亭に接待するということは、社会通念に照らし疑問であるのみならず、前記「山茂斗」のメモ中の昭和三七年一月一六日日本ヒユーム様外二人なる記載からは、果して日本ヒユームのなんびとが同所で飲食したのか判明せず、右メモの存在をもつて、被告人望月、同溝部、同田上の三名が右時期に料亭「山茂斗」で会食したことの的確な証拠とすることはできない。
(2) 証人東島義雄の第一一回公判調書中の供述部分に当座口振込金受取証三通(昭和四〇年押第三二四号の九八)、当座小切手原符一冊(同号の九九)、銀行勘定帳一冊(同号の一〇〇)、保証金証書一通(同号の一〇一)を総合すると、日本ヒユーム管株式会社は被告人戸塚個人の名で国際ゴルフクラブに入会の申込みをし、その際昭和三七年一月一八日にその入会保証金六〇〇、〇〇〇円のうち、三〇〇、〇〇〇円を正規勘定から支出し、残余三〇〇、〇〇〇円は個人資金から支出することとし、同社の裏資金から支出したこと、当時同社の裏資金は被告人戸塚名義で協和銀行吹田支店に普通預金されていたことがそれぞれ認められる。
してみると、前記協和銀行吹田支店長作成の普通預金勘定受払照合表中の昭和三七年一月一八日金三〇〇、〇〇〇円の引出し記載部分は、右入会金六〇〇、〇〇〇円のうちの個人資金からの支出としての三〇〇、〇〇〇円を引出した事実をうかがわせるものである。
そうだとすると、右受払照合表中の記載をもつて、被告人望月が昭和三七年一月一六日ごろ被告人田上に供与した現金三〇〇、〇〇〇円の出所を裏付けるに足る的確な証拠とすることはできない。
三、結局検察官主張の右公訴事実に副う証拠は、被告人望月、同戸塚、同溝部、同田上の司法警察員及び検察官に対する各供述調書ならびに東島義雄の検察官調書だけとなるわけであるが、右各供述調書は前記「山茂斗」のメモ(売上伝票)の記載及び協和銀行吹田支店長作成の普通預金勘定照合表中の記載を主要な根拠とするところ、右供述調書作成の経緯については右各被告人及び東島義雄は公判廷において、前記のとおり弁明及び供述しており、これらの弁明及び供述を一概に排斥することができない。
もつとも、被告人戸塚の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によると、同被告人は金員供与の経緯について具体的かつ詳細に供述していることが認められるが、同被告人が当公判廷において供述しているとおり金員供与に全然関係していないとするならば、果して右のような供述をなし得るか否かについて疑問が存するが、当時同被告人とともに経理面に関与していた東島義雄の検察官に対する供述調書と同被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書を対比すると、重要な点につき種々のくい違いが認められ、右疑問も一応解消することができる。
四、被告人望月、同戸塚、同溝部、同田上は、昭和三七年一月一七日ごろもしくは昭和三六年一二月末から昭和三七年一月までの間、現金三〇〇、〇〇〇円を授受した事実を司法警察員及び検察官に対し一度は自白しているが、それは被告人望月の自白の後になされていること、また、右自白かするに至つた経緯に関する右被告人らの弁明及び供述の態度がいわゆる否認のための否認というようなものでなく、かなり真摯なものであること等の事実に、前記二の(二)の(1) 、(2) で認定した事実をあわせ考えると、裁判所としては、右時期における金員の授受について疑を存しつつも、なお十分の確信を得ることができない。
よつて検察官主張の前記公訴事実は犯罪の証明がないというべきである。
(被告人田上稔を実刑に処した理由)
被告人田上は、本収賄事件発覚後、尼崎市長から解職処分を受付、その社会的地位を失い、相当期間公務員として川崎市、尼崎市に勤務したのにもかかわらず退職金等の支給も受けることができず、助役当時新築した邸宅を売り払い、現在では民間の一アパートに引き移り、もつぱら蟄居のような生活を送つているのであつて、本件の社会的制裁は十分に下されているものと思われる。しかしながら、在職当時における職責の重要さ、即ち尼崎市水道局長、或は助役として、その身を清廉にして他の職員の模範となり、率先して職務の公正さを世間一般に示さなければならない立場にありながら、その職務に関し約二年間にわたり前後七回合計金一、五七〇、六三五円にものぼる金品その他の利益を収受し、しかも一回毎の収受金額は多額のものであるのに、収受に際し一応口頭では辞退する言葉をもらしながらも真に固辞する様子を見せることなく供与を受けていたことからすれば、業者の執拗な誘惑に負けて心ならずも金品等を収受したのとは全く事情を異にし、尼崎市の最高幹部として職員の綱紀の維持に努めなければならない立場にありながら、自から同市水道局における綱紀紊乱の一因を作つた責任は極めて重大であるといわなければならず、同被告人の尼崎市における業績を勘案しても、なお懲役の実刑に処するもやむをえないものとして、主文の刑を量定した次第である。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 江上芳雄 辻忠雄 榎本恭博)